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津島簡易裁判所 昭和35年(ろ)16号 判決 1961年7月05日

被告人 長崎忍

昭七・一一・八生 自動者運転者

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は

被告人は三重交通株式会社に雇われ観光バスの運転業務に従事しているものであるが昭和三十五年六月二十六日午后五時二十分頃同会社の観光バス(愛二あ一四九五号)を運転して静岡県浜名郡新居町新居三三七九番地国鉄新居駅前の道路を時速約二十五粁で西進中同道路南側車道に西方に向き停車している二台の乗合自動車を認め道路略々中央に進路を定めて右乗合自動車の北側を通過しようとしたのであるが同車はまだ乗客の昇降取扱をしており且右乗合自動車の前面及び左側附近の状態は見透しが困難であつたのであるからかかる場合自動車運転者としては何時にても急停車し得る速度に調節し右停車中の乗合自動車の前面附近より道路中央に進出しようとする者に対しても十分注視をなし以て不測の裡に歩行者に衝突等する事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたにも拘らず停車中の乗合自動車前面附近より進み出る者もなかろうと軽信し漫然前記速度のまま該道路中央部を進行した過失により停車中の東側乗合自動車の前部より北方へ向つて走り出した中島義夫(当二十六才)を左前方数歩の間に発見し慌てて右にハンドルを切り急停車の措置を講じたが及ばず自車の左側前部車体を同人に衝突させて路上に転倒させ因つて同人に対し肺出血等の傷害を負わせた上同日午后六時三十八分頃同郡湖西町鷲津一二五九番地の一町立湖西病院に於て同人を右傷害により死に致らしめたものである。

と云うにあるが

(証拠の標目)(略)

を綜合して、

被告人は観光バスの運転業務に従事中昭和三十五年六月二十六日午后五時二十分頃乗客五十名位が乗車している観光バスを運転して静岡県国鉄新居駅前を通ずる国道一号線道路の左側を時速三、四十粁位で西進中同駅前道路南側に西方に向つて停車中の乗合自動車(遠州鉄道定期バス)を前方約四十余米のところに認め道路中央より稍右寄りに進路をとり且二十五粁位に減速して前記定期バスの北方後部附近に至つたが同バスの西方に更に一台の乗合自動車(同会社臨時バス)の停車中なることを認め自車が定期バスと略々併行の位置に達したとき定期バスと臨時バスの間から中島義夫が北方に向つて走り出して来たので被告人は危険を感じ直ちに急ブレーキを踏みハンドルを右に切つたが及ばず自車の前部左側ライト附近が同人に衝突し右公訴事実のような結果が発生したものである。

ことが認められる。

よつて右結果発生につき被告人に過失があるかどうかを検討するに本件現場は見とおしのよい直線舗装道路で国鉄新居駅前広場が国道に沿つて北方に接続し同駅の玄関正面から国道北側まで約二十米の間隔を有し同駅玄関と略々真向いの国道上に遠州鉄道株式会社乗合自動車の停留所があり又その東西に各約二十米宛隔てて国道に横断歩道を設けられてあり道路の巾員は約十一・二米で速度制限はなく徐行標識もない場所で被告人は該国道を時速三、四十粁で道路左側を西進中四十米余前方に停車中の右定期バスを認めて東側横断歩道の附近から進路を道路中央より稍右寄りにとり且二十五粁位に減速して進行したが定期バスの北方後部附近に達したときそれまで定期バスの陰になつて見えなかつたが同バスの西方に更に一台の右臨時バスの停車しているのを認め自車が定期バスと略々併行の位置に達したとき進路左方から走り出る人影を至迫距離に見て危険を感じて急ブレーキを踏みハンドルを右に切つたもので右中島は前記定期バスから下車したものと、考えられるが同バスは定時より約三分間延着し新居駅発車間際の国鉄西行列車に乗車を急いだ中島は駅正面に向つて前記定期バスと臨時バスの間を抜けて道路を横断しようとしたものであることは野末武に対する証人尋問調書中「被告人のバスが私のバスの右側まで来たとき私のバスの前一米位のところを若い男がまだ間に合うと云つて国鉄の新居駅に向つて力一杯走つて飛び出して行つたので瞬間それを見たところぶつかつて居りました」との記載があり同人の検察官に対する供述調書及び司法警察員に対する供述調書中にも夫々同趣旨のことが認められるが中島の右行動は被告人においては定期バスのため視界をさえぎられ且その運転席が右側のため一層発見を困難ならしめ自車と定期バスの車首が略々併行の位置に達するまで「これを発見し難い状態にありその上中島は急に飛び出したため被告人は同人の行動を視覚によく捕捉することができず左方至近距離に人影の飛び出すのを感じ危険を感じて直ちに急ブレーキを踏み右にハンドルを切つたが出合い頭らに衝突するに至つたもので被告人において相当の注意を用いても危険の接着に至るまでかかる事態を発見出来なかつたことは経験則上首肯できるところであり被告人は前記のとおり減速し且左側定期バスと二米位の間隔をおいて進行し相当の注意を払つていたものと認められ前方及び左右の注視義務を怠つたものとして過失を認める証拠がない。

そこで本件の運転速度について考えるに被告人は最高速度時速五十粁の約二分の一の二十五粁位の速度で現場を通過しようとしたことが認められるが速度制限も徐行標識もない主要幹線道路においては最近における交通状態では現実に横断歩行者を認めたような事故を避けるため特に必要な場合を除いては速度の半減は可なり低速度といわねばならない又本件のような場合に自車進行の直前において突然物陰から飛出す者があるかも知れないと予想して何時でも停車し得るような徐行を要求するが如きは却つて交通の混乱を招く結果となる。旧道路交通取締法施行令第二十六条(道路交通法第三十一条)は車馬が停留中の軌道車に追いついた場合に乗降客の安全のため一時停車又は徐行すべき趣旨を規定しているがそれは軌道車の乗降客が必然的に自車の進路に出ることを考慮される場合であつて本件とは全く状況の異なる場合である。なお被告人は自車と左側定期バスとの間に約二米の間隔をおいて進行していたものと認められるから中島が普通の歩行で横断したならば互にこの事故は避けられたものと推測できるが走り出して来たためこの不幸な結果を発生したものと考えられる。よつて本件においては運転速度について被告人に過失は認められない。その他被告人の急停車措置、警音機吹鳴についても過失を認め刑事責任を負はしめる資料がない。

以上のとおり本件公訴事実は被告人の業務上過失によるものと認むべき証明がないから刑事訴訟法第三百三十六条により無罪の言渡をなすべきものとし主文のとおり判決する。

(裁判官 宇野信平)

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